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40代でもできた!ライター奮闘記

はじめまして。mokoです。
ゆっくりと、時々焦りながら歩いて来たライターの道。
かっこ悪いけど楽しかった道を、少しでもお伝えできればと思います。

   

moko 埼玉県在住の60代———————-
若い頃には、公務員や経理事務、医療事務などを経験。ライター歴は23年。
とにかく歌っていればゴキゲンという10代を過ごし、現在は同じような歌好き幼なじみと月に一度のカラオケを継続中。いつでもワクワクしていたい人間です。

1:在宅ワークで何をする?

男の子二人の母となり、何か始めたいな……と考えている時、近所のママ友に「入力の仕事しない?」と誘われました。当時は、パソコンではなくワープロが主流の昔(汗)です。ご主人が会社や役所などにPCを設定するお仕事らしく、そこからお仕事がもらえるとの話でした。全くの未経験部門でしたし、どうせなら一から勉強しようとワープロスクールに通い始めました。数ヶ月後、何とか3級の合格証を手にして帰ると、すでにママ友は、心変わりしてパートに出てしまっていました。


「ええーっ!」と驚き、がっかりもしましたが、手書き文字に自信のなかった私は、ワープロにすっかりはまってしまったのです。やがてPCが使えるようになるとネット検索に夢中になりました。
たくさんの情報に迷うこともありますが、自分には「入力」や「テープ起こし」は向いていないと気づきます。
お手紙を書くことや、思ったことを文章にすることは好きでした。あるサイトと出会い、「ライターになりたい」と発言したら、「ライターです」と名乗ればライターなのよと教えられ、すぐに名刺を作成したのを覚えています。かなり無鉄砲だったかも知れませんね。


でも、そのおかげで勉強の場や出会いのチャンスにも恵まれました。
セミナーなどを受けたら必ずお礼メールをする。当たり前だと思いますが、案外していない人もいるようです。その繰り返しの中で、名前や顔を覚えてもらえ、少しずつお仕事に繋がるようになったのです。


とはいえ、有名な雑誌などに記事を書けるようなお仕事はありません。小さな会社のミニコミ誌のコラム欄とか、新聞販売店の地元情報チラシなど、いわゆるニッチな原稿ですね。原稿料が安くても、文字数が少なくても、書かせてもらえるのが嬉しくて続けていたら、たくさんの人やチャンスに繋がりました。

2:ライターを名乗ってみたけど実績がない!

さて、ネット検索に夢中になった人の多くは、「ポチッとする」ことが増えたそうです。
ポチッとして欲しかったものが自宅に届く……この便利さとワクワク感がたまらないと友人は言いますが、私はちょっと違っていました。


検索すると知りたい情報にたどり着き、プラスアルファの情報も出てくるという快感に夢中になり、時間を忘れてネットサーフィンを楽しみました。やがてSOHO(スモールオフィス・ホームオフィス)という働き方に出会い、在宅で仕事に繋がることに驚き、あちこちのセミナーなどに参加しました。何か技術を身につけるというより、人と出会うことが楽しくなっていたのです。


そんなある日、いろいろな在宅ワーカーが集うサイトに出会いました。その中に、プロの方とライターを目指す方が混在し、切磋琢磨している場所があったのです。月に2回テーマが出され、締め切りまでに文章にまとめて提出すると、選ばれた2作品がそのサイトのメルマガに掲載されるという流れがありました。仕事ではないので収入にはなりませんが、自分の書いた文章が掲載されることの喜びを感じさせてもらえました。


でも……。
名刺交換した時に、「どの媒体に書かれているのですか?」とか「どのような分野が得意ですか?」と聞かれるのに戸惑いました。


そうです。私には伝えるほどの経験も実績も無い!

いわゆる収入につながる仕事経験が無かったのです。けれど書かせてもらえる場は少しありました。PTAの会報とか、サークルの連絡チラシとか、文章にまとめて欲しいという依頼です。すると先輩に「収入になったかどうかではなく、書いた経験があればそれが実績よ」と背中を押されたのです。


嬉しかったですねぇ~


やがて「ちょっと手伝ってくれますか?」とゴースト原稿の一部を書くというチャンスを頂きました。本が出版された日、書店で担当したページを確認すると、自分の書いた文章が活字になっているではありませんか。胸がじ~んとしたことは、今でも忘れられません。

3:ブログにはネガティブ発言ばかり?

本屋さんの店先で感動した日から数日後、ブログを始めました。
自分の考えやいつも感じていることを文章にしてみようと思ったのです。
けれど、それが、私にとっては大失敗でした。


銀行でもスーパーでも、道を歩いていても、気がつく事って批判になってしまうのです。
小さな子を自転車に乗せたままその場を離れたりする人、レジのお姉さんが、お豆腐の上にキャベツなんか乗せたり、映画が始まってから遅れて入ってくる人、そんな小さな事が気になって仕方ない。口うるさいおばちゃんになっている自分に気がつきました。


もちろん、桜のつぼみが膨らんできたからそろそろ開花しないかなぁなんて感想もあったり、可愛い赤ちゃんに出会って思わずにんまりした事なんかもあるのですが、どちらかと言えば「それってダメよね」「気をつけようよ」と感じる事の方が多いのです。良く言えば正義感が強い?のかも知れない私の性分なのでしょう(笑)


でも、それって読んでも楽しくない。私の目指すブログは、思わずほっこりするようなお話や、何これ?と笑ってもらえる話、じ~んと感動する話やワクワクするような話題なのです。そこで、「良いこと探し」の毎日が始まりました。
小さな幸せ、小さな喜びは、あちらこちらに散らばっていました。
私は「世の中を正す係」ではないのです。「クスッ」と笑ってもらえたりする方が嬉しいことに気がつきました。その中で時々「そうだよね~」と共感してもらえる話を盛り込めたら最高だと思いました。


人の欠点を探すより、長所を探した方が心が落ち着きます。心が洗われます。構えていた自分を捨てると、心が軽くなりました。少し優しくなれたような気がします。
文章を書くに当たって気がついたことでしたが、少しだけ他人に優しくなれた自分を嬉しく思いました。ということは、まんざら「大失敗」だけでもなかったのかな? 

4:ちょっとだけ背伸びして、フットワーク軽く!

気がつくまま、思いつくまま文字を綴る毎日が始まりました。たぶん、誰の目にも止まらない私のブログですが、書き続けることで何だか楽しくなってきたのです。元々書くことが好きだからライターになったはずなのですが、一段とワクワクするようになってきたのです。すると不思議なもので、500~1000文字程度の小さな文章を書くお仕事を頂けるようになりました。


しかも継続的にしばらく続いたため、とても有り難いお仕事でした。
この時、私が心がけたことは、どんなに急ぎの仕事でも、丁寧に書こうということ。いわゆるやっつけ仕事にならないように、数をこなすだけにならないようにということでした。
名前の載らない記事や小さなお手伝い原稿でも、私なりに心をこめて書きました。


やがて、そのお仕事から発展して、ライターさんに原稿を振り分けるお仕事を頂きました。クライアントから頂いたお仕事を、登録しているライターさんに原稿として依頼するのです。しかし、納期間際になって「〇〇の事情でできなくなりました」などと言われたり、納期が来ても納品されないこともありました。そんな時は、私自身がライターとして執筆することもありました。

この時は思いがけず忙しくなり、毎日が目まぐるしかったと記憶しています。けれど、たくさんのライターさんの原稿をチェックしたり、書いたりすることで本当に勉強になりました。ライターさん一人一人の癖や思いを感じたり、情報もたくさんあったからです。毎日、パソコンに向かって原稿を書いたり、チェックしたりと屋内業務が続く中、外へ出て行くお仕事にも出会えました。いわゆる「取材」ですね。


実は私の場合、お仕事を獲得するために積極的に押して行くというより、頂いたお仕事を納品する事の繰り返しで継続をしていたのです。ライターさんに振り分ける仕事は徐々に減り、「動く仕事」が増えていったのです。人と会ってお話を聞いて原稿に起こすお仕事は、初めは「ドキドキ」で、やがて「ワクワク」に変わって行きました。私にとって大きな転機が訪れたのです。その出会いから、少し難しいかな?と思う案件にもトライする気持ちで挑もう!グズグズしないでサッサと動こうと決心したのです。


それが「ちょっとだけ背伸びして、フットワーク軽く!」という私自身のキャッチフレーズです。

5:事務局屋という居場所

「動く仕事」いわゆる取材が増えていくのと同時にたくさんの出会いがありました。もちろん取材対象の方たちもそうですが、全くの異業種の経営者の方たちとの出会いは、私の生き方をも変えてしまうほどでした。最初は、「ちょっとだけ背伸びしてフットワーク軽く!」という私の信条に期待してくださったある経営者の方の存在でした。初めは、その方に同行する形で出会う・生まれる執筆仕事に対応することでした。やがて同業者が集まり意見交換をする会が設立されると、「乗りかかった船」とばかりに「事務局」を任せられることになりました。


大きな組織の事務局と違い、小さな任意団体ですから、運営しながら試行錯誤の繰り返し。会費としての徴収はせず、何かあるごとにその場でメンバーが割り勘にする形の頃は、単純に「収入と支出」の記録だけで良かったのに、会費を徴収するようになると、やれ予算書だの決算報告書だのが必要になってきます。会費だけでなく、何かイベント事をする場合は参加費の徴収もありますし、期日までにきっちり振込してくれないと催促を繰り返すことになります。各方面の事務局の方の苦労が解ります。そんなわけで、じわじわと仕事量が増えていきました。


日本各地にメンバーがいるので、その地元を取材してホームページにアップすることも必要なことでした。これは、本来の執筆仕事なので楽しかったです。おまけに、今まで行ったことのない場所を訪ね、地元の名産や特徴、自慢などを聞き出すのは、とても楽しい仕事です。そういう意味でも、事務局屋という立場は、学びの場となり、沢山の出会いが私の居場所を広げてくれたようです。


「やったことないから」「今更新しいことに踏み出すのは……」という思いは捨てて、チャレンジすることをお勧めします。

6: できるだけ正しい日本語を使いたい

ライター業を続けてきて、いつも感じることは「日本語の乱れ」です。
もちろん完璧な日本語を綴れているとは言えない私自身の反省も含めて、
ため息の出るような場面に出会うことが多いからです。
テレビやラジオ、ネット等での発言や会話も含めて、聞きづらい言葉が増えました。少し
前に流行った「ら抜き言葉」は、すでに当たり前になりつつあるようですね。言葉は時代と共に変化していくものだから……というご意見もありますし、昔の常識が今の非常識などと言う人もいます。でも、私は「ら抜き言葉」を使わないように心がけていますし、目上の人に「ご苦労様でした」などとは言いたくないと考えています。

その一方で、方言や地元言葉は無くして欲しくないとも感じています。
私は、ほぼ標準語に囲まれて生活している圏内ですが、お国柄が分かるような言葉を聞くと羨ましいと感じます。自信を持って使い続けてもらいたいものです。その場合、相手の方に、標準語に訳して伝えることができれば問題ありません。言葉は、気持ちを伝えるものなのだから。

私の伝えたい「正しい日本語」とは、辞書で調べないと解らない、知らないという言葉ではなく、義務教育で教えてもらった程度の言葉づかいという事なのです。「食べれない」ではなく「食べられない」、「見れない」ではなく「見られない・見ることができない」ということ。目上の人には「ご苦労様」ではなく「お疲れ様でした」と伝えて欲しいのです。

以前、ある人から「人に伝える言葉は、中学卒業程度にするのが望ましい」と教えて頂きました。つまり、義務教育を終了した人たちに理解できる言葉使いという意味です。高等教育や専門知識がなければ理解できないような話は、一般的ではないというのです。国が決めている義務教育なのだから、15歳でも理解できる言葉で伝えようという事でした。
これは「目からうろこ」でした。難しいことを殊更難しく伝える人がいますが、言葉をつむぐ人は、聞く人、読む人の気持ちや立場に寄り添って書いて欲しいと思います。

今回は6回目、そして最後のコラムとなりました。
私の拙い文章をお読み頂いた皆様に感謝申し上げます。
また、どこかで読んで頂ける日を楽しみに頑張ります!
ありがとうございました。

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